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火事と喧嘩は江戸の華、またその華は町火消
「火事と喧嘩は江戸の華」「またその華は町火消」と言われていますが、江戸は地方出身者が多く、しかも女性が極端に少ない男性社会であり喧嘩が起き易かったこと、火事場への先陣争いなどでも町火消同士、武家火消と町火消などの諍いも、火事がきっかけで起りがちであった。
江戸時代の約260年間に、江戸では火元から長さ15町(約1636m)以上焼いた大きな火事が96回もあり、3年に1回は大火、7日に1回は小火(ぼや)があったほどです。
そして街灯などがない夜の火事場は、町名や組名・家紋などを明記した提灯が頼りであり、それらが無数にあって、夜空に燃え上がる炎や火の粉などと共にその様子は華のように見えたであろう。
また、ある大名が大火続きのため「かように火事を起こすとは江戸の恥じゃゾ」と言ったことが元で、「江戸の華」になったとも言われています。
「与力・相撲に火消の頭」が「江戸の三男」と言われ、町火消、特に纒持ちは人気の的であったこと、そして延享4年(1747)4月二ノ丸の火事以降、江戸城の火災に町火消の出動が許されてから、武家火消に張り合う町火消の活躍は大いに注目され、文化・文政・天保の時代になると、町火消全盛の時代と言われるようになりました。
安藤広重が火消風景などを描いて「江戸の華」という題名で出したり、明治17年には福沢諭吉が「都会の花」という一文を書いたほど、火事は常に大きな話題・関心事であったことは言うまでもありません。火事が起れば返済金の延期理由となり、職人の仕事が増加するという、よからぬ期待感が高かったことも、「華」という背景にあったと思われます。
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