『第五区のあゆみ』

 沿革
  第五区は元八番組・元九番組・元十番組の一部が合併してできているが、
 その経緯を見ると明治3年(1870)に「を組」「り組」「れ組」「る組」
 が他の組に合併された。そして、第五区として発足した時は、一番組から
 六番組まででスタートした。
  その後、昭和24年(1949)に七番組が、25年に八番組から十番組が加入
 し、都合十番組で構成されました。その新組合の承認・披露目を下谷神社
 で行った。八番組は5年程で抜け現在の体制になっている。台東区の全部、
 荒川区の大部、千代田区の一部が受持区域になった。




 大山への参詣
  以下の二つの奉納物が語るように、町火消創立後、比較的早い時期の寛政10年(1798)に大山に
 奉納している点が、第五区の特徴で、先輩諸氏とお店の人々には大きな力があり、敬服している。
  「れ組御供物講」は寛政10年7月(明治21年7月再建)に大山頂上近くに鳥居を奉納している。
 「と組」は寛政12年(1800)6月(明治44年8月再建)に纒の形状をした記念碑を建立している。
 良弁滝の斜め前の道路沿いに第六区の石碑があるが、その左隣にある。

 各地にある奉納物
  第五区内には歴史的にも名高い上野東叡山寛永寺・東照宮、浅草金龍山浅草寺・浅草神社など数多
 くの歴史的な建造物があるが、それぞれに奉納物がある。また、第五区の各組が協力して奉納したも
 のとしては、成田山新勝寺の木遣塚、大雄山最乗寺の長提灯と額、最近では、平成8年(1996)10月
 11日栃木県古峯山古峯神社境内に「木遣顕彰之碑」が建立された。この碑は町鳶を愛し木遣りに対し
 て深い理解のある、文京区在住の近藤満氏から、第四区、第五区に寄贈していただいた。第五区では
 毎年建立の日に合わせて、古峯神社に参拝し、碑の前で木遣を奉納している。次の世代へ、江戸木遣
 を後世に伝える一つの道標でもある。
 
 
  加須市の総願寺鐘楼の格天井は、江戸消防全体の纒図が「東京丸信講」により奉納されているが、そ
 の世話人は一番組の榎本吉之助氏と坂倉万次郎氏である。また、成田山新勝寺には「御瀧講」に「四番
 組」の人々が参加して額を奉納している。
 

 町火消の伴纒を守った榎本吉之助
  明治・大正・昭和と消防の組織形体が序々に確固たるものになって行くなかで、昭和の初めに関西
 で全国の消防の伴纒を統一しようと言う会議が開かれた。其の際、第五区総代、市会議員榎本吉之助
 が、江戸消防にあっては、江戸時代町火消発足以来のものと主張し、政府・警察を説得し、現在の江
 戸消防記念会の伴纒が存続し得る経緯があった。
  「榎本吉之助」のことは、『東京消防』「江戸・明治火消実録」消防譚拾遺 58(神保侃司著)に詳
 しい。
 「赤筋の絆天と榎本氏」という見出しである。
 「上野の戦いの最中、官軍が柳橋に火を付けようとしたが、長雨の影響で火が付かないため、大砲で打
 ち落とそうとしたが、その場に『ちぢりの榎本』鳶の頭が飛出して、鳶職を動員して橋桁をはがしてし
 まった。町内の人達は頭へのお礼にと金を集めて、榎本亭という寄席を作って贈った」 榎本(金太郎
 )氏は榎本吉之助さんのお父さんです。(昭和41年1月10日・毎日新聞「江戸っ子と官軍」より)
  伴纒については、昭和の初め全国組頭会議があった際、榎本氏は東京代表として出席した。この時警
 視庁が内務省令に依って全国的に火消の服装を乙種服装というのに改正しようとしました。「消防組の
 元祖であり火災度数の多い経験豊かな東京の型を何故使用しないのか、小市町村と違い東京では火災範
 囲も広く、腰筋に依って識別出来て指揮統率に便である」こと等を理由に反対した。(一部省略)一旦
 勅命で決まったものを押し切って認めさせてしまい… (一部省略)これは偏に榎本氏の努力の賜物で
 あるのです。」

 前川喜太郎・馬場斧吉について
  この二人は第五区を語る時には忘れてはならない方である。
 前川喜太郎氏は大正3年(1914)二番組組頭となり、消防事務たるや実に熱心にして且つ努力家なるよ
 り衆望高く、且つ温厚にして任侠心に富み、何事にも理解力に富む処より信用深く多年の功績によりて
 警視庁消防部より精励証を贈られた。
  馬場斧吉氏は四番組組頭で、十一代も代々経たる鳶頭馬場家は初代より斧吉を襲名し、氏は元治元年
 (1864)6月6日生る。
  徳川幕府以来土木建築請負業兼鳶職として多数の配下を有し60年間一日の如く消防に尽力し、氏の一
 生は国家の為奉公の遵奉大なるを見るに十分である。組員統一・技能向上への貢献等で数回に亘り賞状
 を贈られた。
 (『東京府消防歴史附名鑑』より)

 定式と伝統文化の継承
  区の運営はそれぞれの階層で定期的に実施する定式で行っている。頭取中は毎月四日、筒先中も四日、
 道具中は五日である。
  特に正月11日の「大盃の儀」は、浅草伝法院で行っているが、全員が集合して行うもので、伝統を継承
 する最大の行事である。そのための準備から当日まで、非常に緊張感があり、若手の育成の場にもなっ
 ている。
  また、木遣りの稽古は第五区の全員が木遣会の会員であり、師匠の杉林久男氏の指導の下、地元の日
 枝神社にて毎月5日間ほど稽古をしている。若手を中心に毎回15人程が参加している。梯子乗りと纒の
 稽古は慰霊祭に合わせ、又11月の時代祭り、出初式に合わせて道具中全員で行なっている。
  最近は、各地に奉納した古い石造物に「朱」を入れ直している。これは若手が中心に行っているもの
 で、先輩諸氏が奉納したものを大事にしている証拠であり、若い世代が温故知新を理解し、史跡の維持
 保存に奔走している。このような後継者の存在は、史跡類の維持保存へ高い安心感を抱かせている。
 

 年間の恒例行事
 1月 出初式当日は、下谷神社にて全員がお祓いを受けてから会場に乗込んでいる
    大盃の儀(伝法院)
 2月 節分会・各組ごとに地元の寺社に協力
 4月 有名寺社への参会
 5月 弥生祭・浅草三社祭への対応
 6月 地元の祭が多く、それに協力している
 7月8月 大山には各組ごとに参拝
 9月 有名寺社への参会
 10月 古峯神社木遣り奉納 
 11月 出初の準備 木遣り・梯子・纒の稽古
  

 

 「平成22年5月25日 消防殉職者慰霊祭でのひとコマ」
  
  
  


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