『第十区のあゆみ』
記念会加入以前について

 第十区は以下の沿革に記述のような変遷があったが、それ以前
にも、消防組の主要な要員として、地元の人々のために貢献して
きた。
それは、滝野川などの消防組の一員として火事場に出動した記録
として。当時の纒が一部に残されている。

沿革
昭和23年(1948)10月5日・・・城北地区の旧郡部消防組11組(長
崎・池袋・巣鴨・西巣鴨・雑司が谷・滝野川・王子・板橋・上板
橋・志村・赤羽)が会の趣旨に賛同し、第四区に入会した。
昭和32年(1957)・・・第四区に加入した城北地区11組のうち、6
組(板橋・赤羽・王子・滝野川・志村・上板橋)が独立、新四区
として活動を開始した。
昭和33年(1958)11月25日・・・練馬、富士見台・石神井・大泉の
地域から3組が加入し、第十区として纒9本となり、現在に到っ
ている。
参考:新四区になった時、伴纒の腰の線が「直線で4本」のものが作られたが、それを
   知っている者も少なくなった。

木遣高聲會由来碑
高尾山薬王院へ建立した石碑などが、我々の歴史を物語っている。「木遣高聲會由来
碑」の全文は以下の通りである。
「思い出せば昭和十八年以来消防組が解散に成った為 組合組織は崩れ各組との交際
は跡絶し音信不通と成りました 昭和二十年の秋に至り初めて蘇生の思いで居た事二
年頃の時に當り 王子三番組々頭澤重太郎氏は卒先して各組に呼びかけ 十一組を
纒めあげ江戸消防記念會第四區に加入致しました 其の後澤氏は後輩の爲に木遣の
稽古に専念して良い頭にせんものとの盡力は容易ではありません 今回弟子の心ある
者が発起し各位の賛同を得て木遣會を結成したのであります 會名は恩師澤氏の
の一字を貰い聲會と命名し永久に其の功績を偲ぶものであります ところがここに
十一組が第十區に成る事になりました其の時に當り 五組合が脱會致す事になり 其
の爲澤氏は再び立上り練馬地區の三組合に呼びかけ 九本の纒をもって初めて第十
區が出来上ったものです。ここで再び聲會の記念碑を建立し其の功績を末代迄も偲
ぶ事に相成りました。」
裏に以下の方々の氏名が記載されている。
 「名譽顧問 鈴木仙八」「顧問 澤重太郎」「會長 小川善太郎」「副會長 古
澤小吉」「副會長 大村新太郎」ほか多数
「木遣聲會會名由緒碑」(長尾著)が昭和31年(1956)5月に建之されているが、
前述の石碑とほぼ同様の記載内容である。



 昭和30年(1955)9月の成田山新勝寺に江戸消防記念会が奉納した、石段敷石・築
庭などの記念石碑の裏には、当時の幹部会員の名前が記されているが、そこには第四
区は五番組までと以下の11組の名前が記されていて、この頃迄の第四区は合計16組あ
った。「板橋一番組」「巣鴨二番組」「王子三番組」「赤羽三番組」「滝川四番組」
「池袋五番組」「西巣鴨六番組」「高田七番組」「椎名町八番組」「志村九番組」「
上板十番組」。この内の次の5組(*)は第四区に編入し、新たに練馬、富士見台・
石神井・大泉地区の3組が加わり、第十区として正式に発足した。(*)「巣鴨二番
組」「池袋五番組」「西巣鴨六番組」「高田七番組」「椎名町八番組」の5組である。

木遣豊好會について
 木遣豊好会は、第四区・第九区などの仲間と共に、長い期間活動を続けている。木
遣りについては、第十区として実施する稽古にも参加するが、特に七・八・九番組は
この木遣豊好會にも参加している。

定例参拝する寺社と奉納物
頭取中としては高尾山薬王院への参詣が大半であるが、過去には成田山新勝寺・太田
の呑龍さん・佐奈田霊社などにも定期的に参詣してきたが、最近は殆ど高尾山薬王院
に決まっている。
筒先中・道具中などは、最近になって大雄山最乗寺に額を納めている。また、第四区、
第九区の仲間とも一緒に活動している。

年間の恒例行事について
1月  出初式前の4日に階子の禊払(みそぎはら)い
    6日出初式 16日大盃の儀
2月  節分会は高尾山薬王院へ木遣聲會と愛心講が協力し、各組も地元の寺社に
    協力している。
5月  弥生祭の準備(木遣り・梯子の稽古)
6月  高尾山薬王院へ定例参詣
10月  実施日は前後するが、参会で有名寺社を巡っている。
11月  出初の準備 木遣り・纒・梯子乗りの稽古
12月  大盃の儀の稽古



伝統文化の継承
梯子の稽古は、板橋区弥生町の会場で実施している。会員数の減少により、組ごとでは
梯子の乗り手が少なく、区として乗り手の育成のため、平成時代になってから「乗好睦」
を作り現在に至っている。頭取中で作った「乗好睦」が纒・梯子・大盃の儀の稽古を後
押しして、現在に至っている。
木遣りの稽古は、聲會では定期的に実施しているが、実施する時は5日間連続で毎晩
実施している。20人前後の若手を中心にして稽古を行っている。
いについては、年番の組の神社で行っているが、梯子にお飾りをし、役員をはじめ、梯
子の選手がお払いを受ける。初乗りで5〜6人が演技を行ない、終了後は記念撮影をし、
新年の挨拶として手拭の交換を行ってきた。

受章者について
 第十区の歴史は次の二人を語ることで、大半を語れるほど重要な存在で意義深いもの
がある。
@澤重太郎翁(第十区三番組)
昭和42年(1967)11月3日勲六等單光旭日章を受賞し、受章記念碑を第十區として昭和
43年(1968)11月吉祥日に高尾山薬王院(木遣塚内)に建立した。
「昭和36年8月第十区総代」
第十区の生みの親と言える人である。
A高木来太郎翁(第十区一番組)
 昭和52年(1977)4月勲六等單光旭日章を受賞し、高木来太郎翁顕彰碑を第十區聲
會が、昭和63年(1988)5月に建立した。
「昭和45年7月第十区総代」
「昭和59年8月江戸消防記念会理事長」


 「平成22年5月25日 消防殉職者慰霊祭でのひとコマ」
  
  
  


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