家康公銅像建立由来

  贔屓(ビシ)「中国の伝説=重い物を
 背負うのが好きな龍」の背に、鷹狩の勇
 姿で江戸城を望んでいる徳川家康公。
  世界都市東京は、伝統と新しい文化に
 支えられ、世界に誇れる日本の首都とし
 て平和的に機能している。このことは、
 東京が江戸時代からの歴史を辿り現在に
 及んでいるからであります。
  家康公が始めて、草深い江戸の地に天
 正十八年(1590年)に、豊臣秀吉の命に
 より移り、都市づくりを始めました。
 


  そして、関が原の戦い後慶長八年(1603年)征夷大将軍となり、江戸に幕府を開き、
 江戸城の普請・神田山の開削・入江の埋め立てなどの天下普請を大名に命じ、本格的な
 都市づくりの大事業を行い、政治の中心地として明治に至るまでの永きにわたったこと
 は周知の事実であります。
  このような、江戸開府の大事業を成し遂げ、現在の大東京の基礎を築いた、徳川家康公の
 業績を称えるとともに、遺徳を偲ぶべきモニュメントがありません。
  江戸消防の史実調査研究を事業目的としている社団法人 江戸消防記念会では、早くから
 このことに着目、銅像建立の必要性を論じてきたところであります。
  平成五年三月、江戸東京博物館が両国の地に落成の運びとなるや、会員のあいだに、徳川
 家康像建立気運が一気に盛り上がり、記念会創立以来の名誉ある事業であることから、これ
 を積極的に推進し、東京都をはじめ関係諸機関に格別のご理解をいただきまして、江戸消防
 記念会が主体となって平成六年四月「家康公を顕彰」し銅像を建立、東京都に寄贈したもの
 であります。
 
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